東さんてどんな人なのか?
その経歴を伺った。
「高校を卒業して、土方やバンドをやって2年が過ぎた時、大学へ行こう!と思いました。その頃からカメラマン志望でサラリーマンは嫌いで、大学を卒業した後、マスコミの面接を受けて内定を何社かもらいました。その時は、マスメディアでエコロジーがやりたいと考えていました」
今から二十年近く前にどうしてエコロジーなのか?
「自分の好きな写真は、60年代の白黒写真で、ベトナム戦争以前のフォトジャーナリズムなんです。それがきっかけでこの当時の映画や文学・音楽などのカルチャーに触れ、これは!というショックを受けました。でもいいなと思った時はすでに80年代でその時代はもう終わっていた。じゃあ、自分の時代は何なのか?と考えた結果それが『エコ』だったんです。これから時代として盛り上がっていくのはエコロジーだ!と思いました。皆で盛り上がっていくのが大好きなんです。サッカーも大好きだし(笑)」
しかし面接で、「東くんは元気だから某青年誌担当かな〜」と軽い感じで言われ、ちょっと違うと感じた東さんは、就職活動を再開する。
そして、自身「ゴミが大好き」で「流通業に入って、ゴミを減らすことができないか?」という思いが湧いたので、一般食品会社に就職した。物流を一つのメディアとして捉えたのだ。
「端的な物が好き。年間500万トンあったゴミが400万トンに減ったとかそういうわかりやすいのが大好き」と笑いながら教えてくれた。
サラリーマンは嫌いだったが、やってみたら楽しかった。仕事が大好きで評価もされたが、その頃は若かったので、大きな組織は自由度が低いと感じ9カ月で退社してしまった。
東さんは大学4年の時、コーヒー屋でバイトをしていた。
すぐ近くに『都市型エコロジー情報発信基地』をコンセプトとするお店『ガイヤ』があったことが、その後の東さんの人生を大きく変えていく。
(ガイヤは当時規模が小さく、産直野菜の販売を中心に行っていた)
「コーヒー屋でバイトをしていたら、ガイヤの人がコーヒーを飲みにきて、ストーンズのコンサートがあるからアルバイトで手伝ってくれと言われました。それで一回働いたら、ギャラがトマトとナス!!(笑)食ったらうまくて『こんなうまいものがあるんだ!!』と感動して・・・」
その時の事がきっかけで東さんはガイヤに就職。今から15年も前のことで、ガイヤがオープンして約1年後のことだった。
入って3カ月後、様々な理由で従業員の入れ替わりが大きくあり、最年長になってしまった東さんは24才の若さで店長になった。
何もわからず、全てが手探り状態だったという。
「店長になって最初の頃ですが、一日3時間ぐらいしか寝ないで、一週間のうち6日間以上は店に泊まりました。自由っぽい雰囲気の中、10代後半から20才ちょっとのスタッフ全員、生活がかかってるし、夢や希望に満ちあふれてたから自分も含めてよく働きました。時代のおかげもあって、店舗維持がぎりぎりぐらいだった月額売り上げが、1年で2.4倍になり、それからあっという間に店長になった時の4倍以上になりました」
エコショップと聞くと儲からないイメージがあるが、何か秘訣があるのだろうか?
「最初はナンパと同じですよ(笑)。店の前で道行く人を見ているうちに、50代以上の女性で2人以上だったら、好奇心旺盛で、安心して店に足を止めてくれる確率が高いことがわかったんです。それで女性が喜んでくれそうなものを入り口において、「見てって下さいよぉ」って軽く言うの(笑)。こっちは若いし、かわいいし(笑)。
また、奇麗な服を来て神保町交差点方面から来る人は、観劇の帰りだからこの商品をすすめようとか、こっちから来る人は地元の人だからダイコン売ろうって、隣のスーパーまで走っていって、隣が230円で売ってたら、こっちは228円にして、無農薬だからもっといいだろうとか。ダイコンをスライスして、『食べてって下さーいっ』て配ったり・・・.もうなんでもありですよ。時間はいっぱいあるから・・」
話の合間に、東さんはお客さんに「ありがとう!」と挨拶したり、ちょっと席をはずしてベンチで話しこんだりする。
その姿は、完全に地元にとけ込んでいる。商売は、人と人とのコミュニケーションだと感じさせられる。
しかし3時間しか寝ないのに時間がたくさんあったとは不思議である。
「当時の仕事の内訳は、ゴミを拾ってきてそれでお店の内装を作ったり、ノコギリをといでたりと暇といえば暇だったんです。だから思いつくままにいろんなことをやりました」
環境系のイベントに積極的にボランティアに行ったり、各種企画をメディアにパブリシティ(宣伝)を流して取材してもらったりして、知名度も上がっていき様々な人が集まるようになった。
「当時、売り上げは上がって、自分の給料は同年代より上。俺は天才だ!!と思いました。それが人生の間違いだったのですが・・・」
お茶の水にあった店は成長し、今度は千葉にガイヤ2号店を出した。都会で成功したノウハウでやればいいと店を若いスタッフにまかせたが、都会のやり方は地方では通用せず、売り上げは落ち込んだ。
自分の納得のゆくやり方で店を育てたかった東さんは、結局、当時の社長という立場を人に譲って、ガイヤ2号店を買い取った。
そして現在、アースマーケットという、今のお店のスタイルができあがったのである。
都会でも田舎でもないこの土地で、このような形態のお店がなんとかうまくゆくやり方を見つけるまで、10年かかったという。
東さんはきっと、みんなに健康で幸せになってもらいたいのだ。
無農薬の野菜を売り、環境や健康を考慮した生活雑貨を売る、そんなスタイルのお店が、日本中に、いや世界中に広がってくれることを願っているに違いない。
都会でやっていくノウハウの一つは掴んだ。今度は、千葉市美浜区というベッドタウンでこのようなスタイルのお店を維持させるノウハウを探っているのだろう。
「店を千葉市内に13軒作りたいですね。13というのは統計をとるのに一番いい件数だから。13軒近い距離にあれば販売したゴミの流通も可能になるし」
と東さんは語る。
この店でいろんなことを試し、千葉の片田舎(or片隅)から、世界にむけて情報を発信しているのである。
また、東さんは今考えていることがある。
「プランとして、成田に週末型の畑を気のいい仲間とやるクワハウス(多目的温泉保養館)があればいいと思うんです。車で手軽にいけて、田舎のいいところが味わえる。
そういう機能のあるドミートリー(寄宿舎)を成田に作って、日本に不慣れな外人が収穫のお手伝いをしたり、タイの若者がタイ料理をつくるという風に、日替わりで各国の名物料理ができないかなあ。日本の若者が海外に行く時にも海外の人から直接情報交換できたらいいと思うし」
素敵な話である。
また、「日本のエコロジーはまだデザインされていない」と語る。
「例えば、ゴミ箱のデザインを変えるだけで、スマートにそこにゴミをいれればいいと若者に訴えるだけでなく、ゴミのあり方まで変えられるもしれないんです。デザインで印象をどう植えつけるか?デザインは大切です」
東さんにいわせると「エコロジーは無茶苦茶これから」ということである。