誰もが持っている心の中の風景として、ぼくには犀川が流れている。
子どもの頃、河川敷に植えられていた桑の実を採って食べ、川辺に生えていたクヌギの木でクワガタムシを捕まえ、川原で駆け回り、魚釣りをし、この川で泳いだ。学校で禁じられていたにもかかわらず、川にかかる鉄橋を渡り、列車の通過を気にしながら、足元の隙間から真下に見える川の激しい流れを恐れつつ眺めた。あれは川に飲み込まれる恐怖だったのだろうか。実際、川で泳いでいて溺れて亡くなる人がたまにいた。
今も犀川との関係は変わらない。河畔林のクルミの枯れ木に発生するキノコを探し歩き、河川敷の畑へ行ったときには、野良仕事をさぼってアオサギが獲物を捕る様子を双眼鏡でじっと眺めたりもした。
30分もかけて捕まえた魚を、嘴を天に向けてググッと飲み込むアオサギの姿は、まさに野生の生命がきらめく瞬間だった。ニセアカシヤの白い花が鈴なりに咲くときは、その花の甘い香りに酔い、オオヨシキリの鳴き声に耳を傾けたりもする。月明かりの下で、ウロコをキラキラさせながら巨大な蛇がうねり行くような夜の川を眺めることもある。
自然の美しさや自然への畏怖はふるさとの自然を通して学ぶものだと思う。そういう意味からすれば、犀川はまさにふるさとの川だ。
7月半ばを過ぎて、梅雨の豪雨にみまわれ長野県各地では水害が発生した。幸運にも犀川では大きな被害はなかったものの、まれに見る増水で川は濁り激しく波打った。
川の様子を近くまで見に行った。河川敷の畑やグランドまで水は溢れんばかりだった。川幅の狭い鉄橋の下では内堤防の上まで水が達し、海辺のように波が打ち寄せていた。また別の場所では、すでに岸辺の土がだいぶ削られていた。
その写真を撮ろうと水際に近づこうとした瞬間だった、すぐ目の前の岸がガサッと崩れ落ちた。もう数分早く到着し、そこへ足を踏み入れていたら、土もろとも濁流に飲まれていたかもしれない。解き放たれた野性の力の荒々しさを感じた。
しかし、この川の働きがなくして肥沃な川中島平は誕生しなかった。「これが川なのだ」とも改めて思いもした。川はいかに猛々しく暴れようが、命を傷つけ合うだけの人間の暴力とは決定的に違う。
7月20日、長野県では県知事選挙が告示された。出馬したのは現職の田中康夫知事と対立候補である自民党の前国会議員である。ちょうどこの前日、降り続く豪雨によって長野県岡谷市では土石流が発生し、5人の死者が出て4人が行方不明者となった。こうしたなか、今後どのような防災対策を講じていくのか、政策のあり方が選挙の争点として浮上した。
2人の候補の考えは真っ向からぶつかり合った。前国会議員は、県土を守るためには砂防工事などが必要であるとして、公共事業による治水対策を訴えた。一方、田中知事は、里山や森林の荒廃で山の保水力が失われたので、森や里山を守ることが大切なのだと主張した。未来に向けて持続可能な社会を築いていくとすれば、どちらの道を選ぶべきかは明らかだ。
すべての川の力を人工物によって封じ込めることなど不可能、コンクリートに依存する治水工事とは日本列島の環境を破壊し続けてきた公共事業依存社会への逆戻りでしかない。本コラムの第6回「崩れいく山道」で疑問を呈した砂防ダムも、河川敷の空き地にロボット兵の隊列のごとく並べられたコンクリートブロックも、ぼくには利権の塊としか見えない。片や伝統的な治山の先には展望が開ける。山に木を植え、林業の復活へ結びつけることも可能だ。広葉樹の山造りは野生動物の生息地を広げ、生態系も回復していく。
ただし、治山を選択したとしても、災害を完璧になくすことはできない。火山が爆発し、台風が襲来するように、雨が山を削り、谷を刻み、川が氾濫して扇状地や平野をつくってきた地球の理は永遠に変わることはないのだから。とすれば、治山だけでなく、自然と共存する人間社会を構築していくこと、これが未来へのビジョンとなる。そのために地域の自然、その自然に根ざした歴史や文化の学び直しが必要だ。
江戸時代、犀川の河川敷の畑は「地割慣行」という自治的な共有地制度によって維持されてきた。地割慣行とは、河川敷の農地を川と垂直方向に短冊形の畑として分割し、それを農家に配分して、その畑を何年かに一度くじ引きなどを行って交換(割替)するというものだ。つまり、川が氾濫すると、土地が削られる畑と逆に肥沃な土がもたらされる畑が生じる。この被害と恩恵を公平に受け入れる、農家共存のための知恵なのだ。人の力では制御できない自然の力と人とが共存していくシステムともいえよう。この制度の名残として、河川敷の畑の形はほとんど当時と変わらずに今に引き継がれている(写真参照)。
また一方で、人々は何も自然のなすがままに身を任せていたわけではない。川の浸食力を弱める目的で石積みの水制を築いたり、河畔林を整備したりした。
その維持のために代々人々の労力が注がれ、300年近くこの共有地制度は続いてきた。言い換えれば、割地慣行は「分かち合い」と「支え合い」のシステムだった。政治家を介する巨額の税金の「奪い合い」であり、お上任せである現代の公共事業による治水対策とは対照的だ。
この時代の新しいライフスタイルとは、共に力を合わせて自然と共存する社会を目指すための日々の行動だと考えている。小麦の種を蒔くことも、雑誌をつくることも、選挙で1票を投じることも、どれもその一つだ。これから先いつまでも心の中の風景を美しく保てるように、ビジョンを描く想像力を失うことなく、喜びをエネルギーとしながら大胆に歩いていこう。
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