川中島という地名をご存知の方は多いと思う。上杉謙信VS武田信玄の合戦で有名だからだ。しかし、どこにあるかと場所を問われれば、大半の方が「はて?」と首を傾げるのではなかろうか。
ぼくが生まれ育ち、いま暮らしている川中島は長野市の郊外、北アルプスを源とする犀川と信州・甲州・武州の県境を源とする千曲川との合流点近く、滔々と流れる二つ川に挟まれた一帯となる。ここは川中島平あるいは善光寺平とも呼ばれている。
では、いったいなぜ謙信と信玄は川中島で合戦をしたのか。上杉の越後と武田の甲州のほぼ真ん中になるから…。確かにその通り。でもそれだけではない。犀川と千曲川は氾濫を重ね、「花泥」と呼ばれる肥沃な土を川中島平にもたらすので、ここ一帯はたいへん生産力の高い土地となっていた。合戦はこの豊かな農地の争奪戦だったともいわれている。
自由気ままに流れる川は、この平を頻繁に水浸しにしたことだろう。川中島も一例だが、この一帯には「島」のつく地名が多い。丹波島、青木島、綱島、真島などだ。地形的にこうした地域は周りよりも少し高いので、洪水の際には海に浮かぶ島のようになる。そういう地名だ。当然、そこに人々は家を建てて住み、低い場所に稲を植える。自然に従った暮らし方があった。
450年前の川中島合戦から時はすぎ、戦乱が終結した江戸時代に入ると世の中は落ち着く。地に腰を据えて農業に励めるようになり、安定した水田地帯にするために人々はまず治水灌漑の大事業を行った。盆地のもっとも低いところを流路とする千曲川に向かって、犀川から流れ込むいく筋かの小河川を治め、網の目状に広がる用水路に変えていったのだ。この平一面に黄金色の穂が波打つ風景が創出された。
この農村の風景は400年前から、ぼくが生まれた昭和30年代の初期までの350年間、ほとんど変わることはなかった。それを一変させたのが高度経済成長だった。ぼくはその激変ぶりを目の当たりにしながら育ってきた。現在も歯止めはかかっていない。
いま、ぼくは川中島平でりんごやブルーベリー、麦などを栽培しながら、環境問題にもかかわっている。地域の暮らしを考えることは、地球の未来を見据えていくことでもある。環境をテーマにしながらも、話題は田中康夫県政からキノコまで何でもありで連載を続けていくつもりだ。他人事と思わずにお付き合いいただきたい。
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