5月の連休が終わった次の週に田植えをしました。
昨年は右も左もわからず、隣家の方に「おんぶに抱っこ」状態で全面的に手伝っていただいたので、今年は少しでも自立できるように出来ることは自分達でと考えています。
手植えの場合、稲を直線状に植え付けるために目安となるガイドが必要です。昨年は隣家のおばあちゃんの指導の元、昔ながらの方法で、目安のひもを張って30cm間隔についた赤い印のところに植え付けました。
だけどその方法だと、一列毎にひもをずらすのに人手が必要です。今年の戦力は我が家のみなので、手間がかからない様にと隣家のおばあちゃんが、近所から巨大フォークの様な「筋付け道具」を借りてくれました。レーキの先端に竹のヘラを定間隔に付けたような物です。今は、どこの家も田植えは機械なので、納屋に眠っていたその道具は何10年振りかに目を覚ましたようです。
まずは、その「筋付け道具」を使い田んぼに線を引きます。
7本の平行線を同時に引けるので、引き終わった線を1本だけなぞっていけば、次々に平行線が出来上がる優れモノです。明瞭な線を引くには竹ベラにある程度の堅さが必要ですが、逆に堅過ぎると泥に食い込み過ぎて抵抗が大きくなってしまいます。
この道具の竹ベラは長さやしなり具合が絶妙で、柔らかい田んぼの泥に抵抗無く明瞭な線を引いてくれました。木工の道具と同じように、機械が無かった頃の道具というものは無理なく目的を達成するようにできていて、長年の経験によって対象とする木や泥などの自然の素材を熟知して進化し、洗練された結果、シンプルな形となっていると思います。
さて、田んぼの話ですが、そんな風に道具の快適さに心躍らせていたものの、小学校の部活に行く長男の送り迎えなどで妻も不在な為、最初は5歳の次男と二人きりで寂しく田植えを始めていました。やがて長男が小学校から帰ってくると、友だちも次々にやって来て田んぼは突然にぎやかになりました。
子ども達は喜々として田んぼに入り植え付けてくれるのですが、田んぼの筋が不明瞭なところはグニャグニャ曲がったり、稲の間隔がまちまちだったり、まあ、商売としての田んぼではないのでご愛嬌です。昨年、我が家の子ども達もそうだったのですが、しばらくすると、まだ田植えしていない端っこのエリアで、みんな泥遊びに夢中になっていました。
我が家の子ども達は、東京にいた頃から泥遊びが好きだったのですが、ここの子もやっぱり好きなんですね。いや、泥遊びが嫌いな子どもはいないのではないでしょうか。
泥遊びできる環境があれば楽しみは見出せるはず。だけど、そんな環境は少ない事と親がやらせたがらないので、泥遊びを経験した子どもは少なくなっている様に感じます。
裸足で泥に入った時の指の間からニュルッと泥が出てくる感覚。足や手が泥に包まれた時の身体と泥の境界が不明瞭になる様な感覚。
腕や足に付いて、お日様の力でカラカラに乾いた泥をポリポリと剥がす気持ち良さ。
顔に泥が付いても洗い流した後に、乾いたタオルで拭き取った時の心地良さ。
大人になっても、その身体感覚はきっと残っていると思います。
以前見たテレビで、休耕田に水を入れて、子どもが自由に泥遊びできる様にしている地主さんが紹介されていました。子ども達が、海水浴をするように泥んこになって活き活きと遊んでいる姿が印象的でした。もしかして泥遊びは、人間がウリ坊(イノシシの子ども)だった時の、泥にまみれた記憶が本能として残っていて、心地良くさせているのではないでしょうか?なんて、こじ付けはやめましょう。第一、人間はイノシシから進化したわけではありませんしね・・・(謝)。
そんな風に、子ども達は遊び半分(いや、半分以上遊び)ながら戦力となり、田植えはあっという間に終わってしまいました。
東京にいた頃は、移住したら田んぼをやるなんて、まだまだ先の事と思っていましたが、様々な縁から、移住直後から田んぼを経験できて、何でも経験したい僕たちにとっては幸運なことでした。思えば、3年近く前、会社を辞めてから今までの間に、それまでの環境や生活は激変しました。
僕の変化を中心に並べてみると・・・
<増えた事>
・生き物の発する音を聞く時間(カエル、鳥、虫、猫、雨、風など)。
・自然の脅威(マムシ、スズメバチ、イノシシ、雷、など)。
・殺してしまう生き物の数(車で踏み潰してしまうカエル、家や工房に入り込んだスズメバチ、アブ、など)。
・自分の土地ではないけれど、自由に歩き回ったり、多少は手を加える事のできる山林や田畑。
・草刈しなければならない敷地。
・近所から頂く美味しい野菜。
・ご近所のお年寄りと話す機会。
・自家製保存食の種類(梅酒、干し柿、栗、漬物)。
・深呼吸する機会。
・暗闇に浸る機会。
・自分の住む土地を愛する気持ち。
・働いている日数(全くのオフ日が無くなりました。やるべき事が山積み状態)。
・混んだ電車に乗るときや人込みを歩く時の緊張感。
・家族で食事をして話す時間。
・ご飯をお代わりする回数(地元産の米は美味しいです)。
・子ども達が自然の中で遊ぶ時間。
<減った事>
・通勤時間。
・家族以外で一日に見る人の数(今は平均2〜3人)。
・飲み屋に行く機会。
・読書の時間(以前は、電車での通勤途中が至福の読書時間でした)。
・テレビを見る時間。
・家族でキャンプに行く欲求(毎日がキャンプ場生活みたいなので、欲求が無くなりました)。
・ネクタイをしている人を見る機会(同じく、スカートの女性を見る機会)。
・子ども同士で遊ぶ時間(近所に子どもが少ないので、友達と遊べるのは休日くらい)。
・収入。
・1日の時間の長さの感覚(毎日、あっという間に終ってしまう感じ)。
こうして、改めてこの1年を振り返ってみると、まだまだ生活が安定しているわけではないですし、ここで暮らす為の知恵なども知らないことが多いのですが、自分たちなりに好奇心のアンテナを広げ身近な自然や人に出会い経験を重ねる事で、この里山に馴染んだ生活を気負わずにじっくりと送れる手ごたえは感じています。
このコラムの初回で、海に飛び込んで気持ち良く泳ぐウミンチュの老夫婦の夢の話をしましたが、ここで暮らし続けた30〜40年後に、あの老夫婦は自分達の姿だったんだと振り返ることができれば幸せだと思っています。
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