集落内のどの田んぼも田植えが終わり、早苗が風にそよぐ季節になりました。
今年も、子ども達の田んぼ遊びのシーズン到来です。
沢山の水生昆虫に先立ってまず水路で活動を始めるのは、冬眠から目覚めたカエルやイモリ、ドジョウなどです。
馬頭に移住してきた当初、「田舎だから夜は静かだろうと思っていたのに、町とは違う意味ですごくうるさいかも」と娘に言わしめたカエルの大合唱は、今年も変わらず健在です。
試しに田んぼの畦を歩いてみると、一足毎にカエルがポチャン、ポチャンと田んぼにダイブして逃げていきますし、雨降りの夜ともなれば、車のヘッドライトに照らされたアスファルトの道にたくさんのカエルがうろついています。それは、どう走っても避けるのは不可能、と思われるほどです。その数ははっきりしませんが、「おびただしい数」であることは確実です。なので大合唱は「大音響」には違いありません。
カエルは種類によって鳴き声も様々です。
昨シーズン、自宅周辺で7種類のカエルを確認しました。つまり、7種類の音源があるということになります。
それが合唱するとなると一歩間違えば不協和音を奏でそうですが、決して耳障りではありません。
指揮者がいるわけでも、リーダーがいるわけでもなく、てんでんバラバラに鳴いているのに、全体として大きくうねるようなハ−モニーになっているのが不思議。自然の細やかな配慮に脱帽です。
また、カエルは食物連鎖の底辺の方にいる生き物なので、ヘビの他、サギやタカ、モズといった肉食の鳥達も、イタチやタヌキ、ハクビシンといった動物達も、重要なエサとして狙っています。
それに加えて我が家の息子達に、飼い猫も常にカエルには目を光らせています。それでも毎年沢山のカエルが出現するのですから、自然の力はすごいです。
そしてそれは同時に、ひとまず今年も思う存分カエルをとって遊んでいいと約束されたということでもあり、子を持つ親としてはとても喜ばしいことだと思っています。
昨年、越して来たばかりの頃に田んぼ回りの用水で初めてカエルを捕った息子は、ちょっと誇らしげに見せにきました。一匹捕れると嬉しくなって、もう一匹捕りました。捕っても捕ってもまだまだ捕りました。
毎日毎日カエルを捕ってはバケツの水に泳がせて、息子二人で掴んだり放したりを繰り返していました。そのうちに、4歳の息子が掴んでいた大きめのカエルが、逃げられては大変とギューッと握っている間に、手の中で死んでしまいました。
あまりにもあっけなく死んでしまった事に納得がいかなかったのか、「死んでない!生きてる!」と言い張るので、そのまま一晩放置して、翌朝、カエルが死んでしまったことと死んでしまったら生き返らないことを確認しました。そして一緒に土を掘って埋めました。
このことで、息子はカエルをつかむ時の「力加減」を学んだようで、それ以来、握りしめて殺してしまうようなことはありません。
また、水の中に住むカエルにとって人間の体温は熱すぎるからか、手で掴んでいるとすぐに弱ってしまいます。でも、水に浮かべて冷してやると元気を取り戻す事も覚えて、上手に(?)遊んでいるようです。
カエル捕りに慣れた頃、今度は8歳の息子が、捕まえたカエルを空中高く放り投げたり、わざと地面に落としてみたり、畑の土をまぶして土団子の様にしてみたり、大人にとっては胸の傷むような事をやり始めました。しかも、喜々としてやっているのです。
子どもは残酷だとよく言います。
その「残酷」な行動は、子ども自身の中から自然に湧き出てくる「衝動」のようなものだと思うのです。カエルを投げてみると面白いよ、とか、土団子にしてみなさいなんて、大人が教えたりやらせたりした訳ではないのですから。その「衝動」の根底には、漠然とした興味や素朴な好奇心があるようです。「命」という、見えないものに対する興味。近所の子ども達も田んぼの泥の中にカエルを埋めたり出したりして同じように楽しんでいることから、我が家の子どもが特別という訳ではなく、基本的にはどの子も同じだと思っています。
周りの、すでに大人になっている方々(主に男性)に聞いてみると、子ども時代にカエル(や昆虫など)をおもちゃにした経験談がたくさん出て来ます。中には「爆竹をカエルのお尻に突っ込んで爆発させた」とか「ストローをお尻に入れて息を吹き込むと風船みたいに膨らむんだよ。割れると、パーンって音がする」とか、かなり過激なものも。「随分ひどいことしたよね。」「大人になってみれば、もう一回同じ事やろうとは思わないけどね。」と笑いながら、「そうやって遊ぶ中から、命の大切さを学んだのだと思う」と、皆さん語ってくださいます。「子どもの頃にそういうこと沢山やっても、大人になったらやらないでしょう。それでいいんだよ」とも。
そうか、やっぱりそれでいいんだと、その言葉に力をもらって、私は出来るだけ見て見ぬ振りをしていました。たとえ何匹かのカエルが子ども達の犠牲になったとしても、この周辺にはそれが全く気にならないほどの、おびただしい数のカエルがいる、と自分自身に言い聞かせながら。願わくば、大人の見ていないところでやって欲しい、と思いながら。
目の前でやられるとどうしても「やめなさい」と言いたくなりますが、そういう時は「それ以上やったら死んじゃうよ」「息ができなくて苦しいんじゃないの」という言葉で、私の思いやカエルの思い(?)を伝えるようにしています。
子どもの残酷な遊びを見てしまった時に、大人の理屈を押し付けたり、力で阻止する(とにかくやめさせる)のではなく、(異論はあるかもしれませんが)一度、思う存分やらせてみること、そういう機会を持たせることはとても大事なことかもしれない、というのが実感です。
これから先の子ども達もカエルで遊んだ思い出を持てるよう、この環境を維持し、手渡していけるように努力をする事の方が、実は大切なんじゃないか、と思っているところです。
カエルには申し訳ないけれど、多少の犠牲も気にならないほどたくさんのカエルが住んでいるこの環境を、暮らしの中できちんと維持してくださっているご近所の方々に対しては、感謝の気持ちでいっぱいなのです。
この先、ここに移住してきた私達に出来る事はなんだろう。
そんなことを考えながら、二度目のシーズンを迎えています。
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