こちらに引っ越して初めての冬を迎えた僕たち。
近所の人の話でもさすがに今年は寒かったようで、屋内や井戸水の配管が凍って破裂したと言う話をあちこちで聞いたほどです。
2月の初め頃まで、朝方は−10℃以下の日がしばしばあり、そんな日は、肌を刺す様に寒いながらも、木々や窓に降りた霜や、バケツにできた分厚い氷の造形を楽しんでいました。
ところが、バレンタインデーを過ぎた頃から女性達の熱い空気が伝わってきたからでしょうか(オヤジ臭い表現でスミマセン)、急に空気が緩み、作業場で使う薪ストーブにくべる薪の量がぐっと減ってきました。
空気が緩んだものの、朝方は氷点下で地面やバケツの水は相変わらず凍っています。
東京に住んでいた頃、そんな日は、とても寒い朝だと感じていましたが、もっと寒い朝の洗礼を受けてきた僕たちにとって、不思議ともう寒さを感じなくなり、「今日は暖かいね。」という会話で1日が始まります。
人間が本来持っている自然に対する適応力は凄いですね。
こうして、一冬で馬頭の寒さに慣れた僕たちは、東京から緯度で約100km北上したわけなので、もしも、これから毎年、約100km北上しながら徐々に適応してゆけば、約40年後には北極圏で生活できるはずです。(実際は、石油ストーブや化学繊維の衣類など、文明の道具に頼りきっていますが…)
だけど、そうなると「野山であそぼっ」ではなく「氷原であそぼっ」になってしまうので、野山が好きな僕たちは、やっぱりこの馬頭に定住したいと思います。
昔の人々は、そこまで速くないにしても徐々に移動し、アジアで生まれたモンゴロイドはシベリアを抜けベーリング海峡を越えて、北米から南米最南端のパタゴニアまで、長い時間をかけ、その土地の環境に適応しながら散らばっていったのでしょう。
定住を捨てて未踏の土地に移動してゆく原動力は何だったのでしょう。
有史以前の太古の人々の動きを想像すると、宇宙の起源を想うのと同じくらいワクワクします。
そんなグローバルな事がほんのたまに頭をよぎるものの、生活は極めてローカルに進みます。
僕たちが冬が緩んできたと感じるより早く、実は植物や生き物は動き出していたようです。
家の周りでは、フキノトウが地面から顔を出し、福寿草がパラボラアンテナのように太陽へ向けて眩しいくらい黄色い花を咲かせました。
そして、近くの池では、なんとカエルの卵も見つけました。
そうして、すこしずつ春を感じ始めた頃から、子ども達も外で遊ぶ機会が増えてきました。
前の原っぱで、背の高い枯草を踏んでポッカリ広がった空間を作って、寝転んだり、草を編んだり、子どもだけでお弁当を食べたり。庭の植え込みの中に、ダンボール箱や脚立を持ち込んで秘密基地を作ったり。
家の中ではテレビのチャンネル争いや、ファンヒーターの前での暖かスポット争いなど、こちらも声を荒げてしまうような兄弟ゲンカは絶えないのですが、どういう訳だか、外では平和的に遊ぶので、見ている方も心が和みます。
横に枝を広げた梅の古木に、ブランコをかけると近所の子どもにも人気のスポットになりました。
このブランコは、10年程前に公園やキャンプ場で遊ぶために作った、木の板に登山用のロープを通しただけの簡単な仕組みの物です。
東京にいた頃、近所の公園でも、お気に入りだった桜の大木に、このブランコやハンモックを吊って遊んでいたのですが、そうすると自然に、知らない子どもも仲間に入りに来ることがありました。
だけど残念なことに、時折、公園内を巡回して管理している方から、「他の利用者の迷惑になるから」と、注意を受けたこともあります。
都市の中で、樹木が豊かな公園は、子どもが自然と触れ合える数少ないスポット。
人工的な遊具だけではなく、自然の樹木でも自由に遊べるような配慮があることで、子どもの遊びの幅も広がり、子ども自身の逞しさも自然と育つのではないかと思います。
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