4月、移り住んだ頃の馬頭町は春まだ浅く、まさに冬から目覚めたばかり。
白やピンクの梅の花が今を盛りと咲き乱れ、枯草の中に芽吹いたばかりの緑が新鮮でした。
我が家の目の前は、耕されなくなって久しい畑が広い草原となって広がっています。この原っぱが殊のほか広くて気分がいいのです。
子ども達は、その原っぱを全力疾走で駆けまわったり、草の上にごろりと寝転んで大きな空と雲を見上げています。
息子が「ちょっと見ていてね」というので見物していると、だーっと私の反対側に走っていったと思ったら忽然と消えてしまいました。「?!」なんだなんだ?と思っていると草の中からむっくり起き上がって「ねぇねぇ、僕、うまく消えたでしょ?」とにやにや。転んでも痛くないから出来る遊びだ、とうれしそうに笑います。
娘は原っぱからタンポポを両手いっぱいに摘んできて、玄関に飾っています。
「お日さまのにおいいっぱいだね。」と満足そう。コジュケイの囀る声が、裏手の栗林から元気一杯に響いていました。
ウグイスのさえずりが始まり田んぼに水が入ると、小さな生き物たちが一気に動き出しました。
生き物のエネルギーに引き寄せられるように、子ども達は原っぱではなくたんぼの周りで遊ぶようになりました。
図鑑の中にしかいなかった何種類もの生き物が、目の前で生きて泳いでいる事にひたすら興奮して田んぼ通いをしていた息子は、いつの間にか「獲物」を逃がさない素早い動きを身に付け、顔には狩人の気配を漂よわせるようになりました。
カエル、イモリ、ドジョウ、ザリガニ、タガメ、マツモムシ、タイコウチなど、実にさまざまなモノを捕まえてくるおかげで、私も図鑑でしか見たことのなかったシュレーゲルアオガエルが生息している事もわかり、馬頭の自然の豊かさを実感しました。中でも5cm以上あるタガメには、その存在感に畏敬の念を憶えたほど。
家の周辺には生命力が満ち溢れ、私たちにもそのエネルギーが流れ込んでくるような感覚がありました。
梅が実る頃、敷地の入り口にある梅の古木もたくさんの実をつけてくれました。
手の届く所だけ収穫して安心していたら、後から後から実が落ちて、あっという間に道路が梅の実だらけに。落ちた青梅は子ども達の格好の遊び道具になりました。細い竹を切り出してバットに見立て、前の原っぱに向けてひたすらノック。玉は沢山ありますし、いちいち探す必要もありません。なかなか当たらないのはご愛嬌。
熱中して遊んだのは、”実の当てっこ”です。首から上は狙わないという約束ですが、たまに熟れた実も飛んでくるので命中すると大変。
巧みに交わしつつ攻撃するのがおもしろくて、親も混じって暗くなるまでやりあいました。道一杯に散らばった梅の実と種のかたずけはちょっと手がかかりますが、雨の助けも借りて数日後には道路もきれいになりました。
雨が降っても子ども達の外遊びは続きます。
タオルで頬被りをした子ども達が、バケツを沢山持ち出して家の周りを行ったり来たり。樋からあふれる雨水を集めて、大きなゴミバケツに溜めているのでした。「これを畑や植木に撒くと水の節約になるでしょう。楽しくて役に立つから一石二鳥!」と、得意そうです。全部のバケツが一杯になっても、雨はまだまだ続いています。
お風呂で温まってさっぱりしてから、庭に並んだ「仕事」の成果を眺めて満足そうな子ども達。降り続く雨に「このまま流れて行くの、もったいないよねー。」君達がバケツに溜めなくても、山に降った分は山が蓄えてくれるし、田んぼに降った分は田んぼが蓄えてくれるよ、と言うと、「東京で大雨が降ると道路が水浸しになることもあったよね」「東京の雨は、どこに蓄えられるのかなー」「下水道?」…「下水道は蓄えないでしょう…?」「そのまま海に流れるんじゃない?」「海の水、薄くならないのかな」子ども達の会話も楽しいです。
子どもは遊びの天才。
どんなものもおもちゃになるし、なんにでも夢中になれます。他愛のない遊びに熱中する、そんな時間を子ども時代にこそ大切にしてあげたいし、たくさん経験して欲しいと思っています。
今、子ども達は馬頭の自然に育てられている、そんな風に感じているのです。
10月、馬頭は豊かな実りの季節を迎えています。
これから冬にかけて、野山を舞台にどんな遊びが展開されていくのか、楽しみです。
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