あけましておめでとうございます。
お正月を迎え、ちょうど折り返し点を迎えた、信州からの無駄話、今年もお付き合いください。
前回、組織に馴染めず、個人でのものづくりを始めたと書きました。
NOと言えない性格の人間は、一見、波風を立てずに穏便に過ごす、組織向き人間のように思われますが、本当は、組織にとっても、自分にとっても余り良い事ではないような気がしています。
そんな性格ゆえ、幼い頃から習っていたバイオリンを止めたいとも言えずに、フルサイズの楽器を持つ年頃まで、ずるずると続けていました。
北佐久郡立科町は小諸から車で30分ぐらいの所、そこにジャズ・ベーシストの中村さんがいます。彼はこの界隈の音楽好きに声をかけ、山菜の時期、お盆、秋の収穫祭、暮れの餅つきなど、季節の節目に一品持ち寄り音楽パーティーを呼びかけてくれます。15年ほど前、観客として始めて参加させてもらった時、「楽器ができるって、羨ましいなー」と言ったのを覚えています。
チャンスはその直後、佐渡から招いた友人のバンドにバイオリンが参加しており、歓迎の意味を込め、彼らの持ち歌をコピーして演奏する事にしようとなった時のことです。これが私のミュージシャンデビュー?以来、病みつきとなり、92年に、仲間と「みどりのおじさんバンド・ファースト・アルバム」を発表。
この頃は当地でも、あの悪名高き「リゾート法」の下、私たちの水源地である浅間山麓を開発しゴルフ場をつくろうとする計画が目白押しの時代、水と緑を守る集まりで演奏する為に作ったオリジナル曲のテープです。
第2作のCD,「ガンバラないで」(グリーンサム・バンドに改名)は96年完成。大阪在住の乾チエさんは脳性まひをもって生まれた当時20歳の、機知に富んだ娘さん。小学校時代の恩師に書の楽しみを教わり、以来、宮沢賢治の朗読会で自作の書を見せてくれるまでになっていました。我が家へお招きするに当たって、何をご馳走しよう、何処へ連れて行ってあげようと、色々考えていましたら、「今までは、おもてなしの気持ちが分かるから、体調が悪くても、おいしいと言って箸を運び、楽しかったと観光にお付き合いをしてきたの。でも成人したのを機に、もうがんばらなくてもいいよねってこのあいだ、お母さんと話したんだ。」と聞かせてくれました。ずっと気になっていたこの言葉が、「自分のペースで生きればいいさ、がんばらないで」と歌詞になったのは、1年以上後のことです。本当の優しさに通ずる、このNOと言う表現が、世の中で素直に受け入れられるようになったのは、その後のパラリンピックのエイブル・アートで「がんばらない」として取り上げられるなどしてからのことです。
こうして再びバイオリンを手にするようになった私ですが、最近はアイリッシュ・トラッドにすっかりハマっています。あのアイルランドからの移民家族の物語「大草原の小さな家」のお父さんが時折弾いていたのは、同じ楽器をフィドルと呼ぶ、アイルランドの伝統音楽です。
厳しい時代にも、いや、だからこそ何百年も生活と共にあり続けてきた音楽にどっぷりつかりにアイルランドを訪れたい。これが目下の私の夢なのです。
|