耕さず、肥料も施さず、無農薬かつ無除草で、米と麦を毎年連続で近代農法以上の収穫を実践した福岡正信がその自然農法の実践と無の哲学を語っている。
農業従事者でなくとも、健康を考えると食に行きつき、食を思うと農業まで考えが及ぶ人は多いと思う。その農業に関心をもち、安全で美味しい作物の生産を持続可能とする農法を模索すると、50年前まで普通に行われていた有機農法に出会うことだろう。
有機農法では、農薬を使わず、わらや落ち葉・家畜の糞・食材の残りなどを発酵させた堆肥を肥料として使う。土は微生物が増え生きた土壌となり作物本来の生命力も活発になり安全で美味しい作物が育つ。
だが、化学肥料を有機肥料に置き換えただけの農法では、安全とはいえ堆肥を作らないといけない分、面倒でしかたがないと思えてならない。それにちっとも楽にならないにちがいない。それよりもなによりも、このやり方では有機肥料の絶対量がいずれ不足すると思えてならなかった時に、出会ったのがこの本だった。
農薬を使わない、除草もしない、ここまでは理解し受け入れることができる人も多いかもしれないが、耕さない、肥料も施さない、それでいて近代農法(化学肥料と農薬中心の農法)と同等もしくはそれ以上の収量を30年以上も実践してきたという事実は、あまりに衝撃的である。
「一口に言えば、農機具もいらない、農薬も肥料もいらない、そして、やりかたといえば、ただ稲のあるうちに、稲の頭の上から麦をばらまいて、稲を収穫したときに出来たわらを、その上にばらまいただけなんです。・・・・順序から申しますと、十月上旬に、稲の中にクローバーをまき、中旬に麦をまき、下旬に籾をまいて、稲わらを長いままで振りまいただけです。その結果が今ごらんになっている麦というわけです」
一見簡単なようであるが、この自然農法は極限までムダを省き、自然の摂理を最大限に活かした芸術的とも思えるほどで、その手段だけをみようみまねでやってみても出来るものではないと思う。
「自然人でなければ達成できない」とあるが、まさにその通りなのだろう。
これを実践するのは困難に違いないが、この自然農法は多くのことを教えてくれるし、この事実を真剣に受け止めるなら、この自然農法の中に今の社会が抱えているさまざまな問題の解決の糸口があると確信できる。
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