この本を読んだ前と後とでは、同じように世界を見ることが出来なくなってしまう。
歴史的背景を理解し、環境問題に真正面から取り組む気持ちがある人には、是非読んで欲しい一冊である。
書籍のタイトルである「エントロピーの法則」は物理学に出てくる熱力学の第二法則そのものなのだが、この書は理学書ではない。
分野的には環境問題のカテゴリーに属する。
とはいえ、よく目にする資源の枯渇や環境汚染を訴え、未来に警鐘をならす類の書籍とは一線を異にする。
エネルギー的観点から歴史と環境問題を検証し、多くの人々が無意識に感じている歴史観と世界観を180度否定し、科学万能主義あるいは機械的世界観にしばられた固定観念から人々を解放した上で、「環境破壊から人類を救う」という新しい世界観を示しているからである。
その歴史観について簡単にふれてみよう。
はるか過去の歴史に遡り、狩猟採集社会から農耕社会への移行の理由と、どちらが豊かな社会だったかについて考えてみることにする。
「狩猟社会も進んでくると道具や知恵も増えてきて少しずつゆとりが生まれ、わざわざ狩猟にいかなくても種を蒔けば身近で食物を得ることが出来るようになり、次第に農耕が広まって、より豊かで便利な農耕社会へと移行した」
と今までの教科書は教えている。
しかし本書は、
「動物や植物が不足し、また新たに開発すべき土地が枯渇して、地理的に拡大する余地がなくなった。つまり必要に迫られて狩猟採集社会が農耕を開始した」
と主張しているのである。まったく正反対の主張である。
しかし、自然が豊かで野山に動植物が満ち溢れ、海川に魚貝類が満ちている社会を少し思い描いて欲しい。
矢を放てば獲物が、ちょっと散歩すれば十分な山野草が、海では魚や貝が豊富に採れる社会である。そんな中にいて、どうして何ヶ月も先にしか収穫することができない上に面倒な作業を伴う農耕をわざわざする人間がいるだろうか。
どう考えても人口が増えた結果、山や海からだけでは十分な食料が得られなくなって必要に迫られしかたなく農耕を始めたと考えるのがすごく自然だし、個人的な日常のことからも良く理解できるし、受け入れることができるのである。
なのになぜ、教科書はそのように教えていないのだろうか?
本当のところ狩猟社会と農耕社会はどちらが豊かであるといえるのだろうか?
農耕社会になることで、食料が増え人口も増大し、定住することで住環境も飛躍的に向上したと推測するのは難くない。しかしその代償として、時間(季節)に管理された労働が生まれ、狩猟社会の自由(レジャー、音楽、踊り、芸術など)と豊かな自然の食材は失われたに違いない。
多くの人々が、人類の歴史とは進歩の歴史であり、その技術の進歩によりより豊かな社会へと移行していく歴史であると疑うことなく信じきっている。
その姿は、あたかも物質的豊かさが全ての基準という機械的世界観に洗脳されているようにすら見える。
今の社会を冷静に見ると、豊かになっているのは物質的な側面だけであり、それも世界の一部の偏った地域の人間だけである。
初版から10年以上たった今、書かれている内容全てが正しいかどうかはわからない。
しかし、このことははっきりしている。
機械的世界観と科学万能主義を持ちつづけたままでは、いくら環境問題に取り組んで循環型社会を実現しようとしても、結局のところ同じことの繰り返しで大量消費社会は変わらず、環境破壊を食い止めることも、ゆとりと豊かな生活が営める社会を実現することも出来はしないのである。
|