株式会社ビアス社長ブログ、「雑文」カテゴリーの記事です。

ビアス社長ブログ|おなじ時おなじ空

2006年01月25日

12年前のこと。

ある日のことです。といってもそれは12年前のこと。

私一人しかいない自宅兼事務所に一本の電話がかかってきました。
「はい、サンネット事務局です。」
「あのぉ、サンネットの会員になりたいんですけど。」
と女性の声。普通に考えると嬉しい問合せです。しかしその一言の物言いから攻撃的な雰囲気がビリビリと伝わってくるのでした。

当時、私は“サンネット大宮”という地域に密着したパソコン通信を運営していました。そのネットは地域密着というコンセプトで技術的にもビジュアル操作で通信ができるというものでした。まだOSがウィンドウズ95以前でパソコン操作はコマンドラインで行っていた時代ですから、今では当たり前のマウス操作で通信することができるだけで注目されたパソコン通信の一つでした。

「ありがとうございます。それでは、入会操作は全てオンラインで行うことができますので、その操作方法を説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
普通の入会問合せであれば“はい、お願いします”という声が返ってくるはずです。
「説明してもらってもいいですけど。マウスをどうやって使えと言うんですか!?」

私の頭の中は???です。
もしやマウス操作から説明しなくてはいけないと思うと、正直厄介だなあという思いが走りました。
その女性は言葉を続けます。
「こういうネットはみんなが使えるようにするべきじゃないですか!私たちにはビジュアル操作はできません。あなたはそれでもいいと思っているんですか!?」
私はさらに????となり。少し憤りも覚えてしまいました。

「このサンネットは、パソコンに不慣れな人でも、だれもが使いやすいようにと考えて簡単なマウス操作で通信ができるようにしているんですけど!!」
誰もが参加しやすい地域ネットとして、簡単に操作できるビジュアル通信はこだわりの一つでしたからその思いをそのままぶつけてしまいました。

「そうですか。でも私たちには使えません。目が見えない人間は参加できなくてもいいという考えなんですね!」と、その女性の言葉には、言ったところでどうにもならないだろうという諦めと怒りが混じっていました。
その言葉を聞いてやっと私は事態を飲み込むことができました。しかし、同時にそれより大きな困惑が襲ってきました。

それまで視覚障害者をたまに見かけることはありましたが、目が見えない人と実際に言葉を交わしたのはそれが初めてのことでした。これは今の社会システムに問題があるのか自分が避けていたのかは分かりません。
それからどう対応したらよいか迷ったものの、失礼になってもいたしかたないと腹をくくって、率直な疑問を次からつぎに投げかかました。

目が見えなければそもそもパソコン事態が使えないのではないか。使えるとするとどうやって使うのか。パソコン通信をやっているのか。パソコンは役にたっているのか。何の為にパソコン通信をやっているのか。などなど。
答えはこうでした。
目が見えなくてもコマンドベースのパソコンであれば音声読み上げソフトを使って自由に使いこなすことができる。パソコン通信はニフティサーブ(富士通が提供していた当時会員数150万人位のコマンドベースのネット)でやっている。パソコンは記憶箱であり自分の頭の一部になっている(この時はこの意味が分からなかった)。パソコン通信上の世界では障害者と健常者の区別がないので偏見を感じることなく交流できる。
聞いた全てが自分が見過ごしてきたことで知らなかった世界でもあり衝撃的でした。

結局、いろいろ聞いたところでビジュアル通信では参加出来ないことに変わりなく、その虚しさは増すばかりでした。
ただ、知らぬ間にその女性の言葉は本来のやさしい声に変わっていました。

「そうだ、せっかくですから是非サンネットに参加してください。まずは自己紹介のコーナーがありますのでそこにメッセージを書いてください。私にメッセージの内容をメールで送ってもらえれば私が代わりにアップします。そしてそのコメントはメールで送り返します。」
それがハニーさんとの出会いです。(ハニーというのはネット上でのハンドルネームです。)

それから数ヵ月後、ハニーさん宅を訪問しました。
ご主人も同様の視覚障害者で、お二人でマッサージ店を営まれていました。
そこではパソコンがあたりまえのように使われていて、顧客管理などもご主人自らプログラミングして作ったソフトを活用するなど、人間のかくれたパワーを見たような気がしました。
パソコンは生活に役立ちますかと聞くと「私たちはノートが取れないからパソコンに記憶させています。もしこのパソコンがクラッシュしたら自分の頭が半分なくなるようなものです。」とご主人。
パソコン通信に何を期待しますかと聞くと「ネット上では、私は一人の普通の女性です。」とハニーさん。


あれから12年が経ちました。
あの頃は一人だったし、まず力がなかった。
今だったら何かできるはず。もう一度チャレンジしてみようと思う。

投稿者 Hiromi : 04:21 | コメント (0)

2005年07月22日

昔書いた詩2

焚き火

ねえ 焚き火したことある
このまえねえ 川のずっとずっと上流で 焚き火したんだよ
それでね そこは民家なんかまわりになくて
その夜は月もでてなくて一面真っ暗だったんだ

それでふと上を見ると
今まで見たこともないそれこそ満天の星空だったんだ
見えるのはただただ星だけなんだ
あまりきれいだったから 飽きることなくずっとみてたんだ
すると一人ぽつんと浮いてるみたいに感じてきてさ
歩いてみると平衡感覚がなくなってきて
まるで宇宙を浮遊しているちっぽけな物体になるんだ

どれくらいたったろう
それでふと我に返って焚き火をしようと思ったんだ
まずは燃えやすそうな小枝をひろってきてさ
それに火をつけたんだ
まだ小さい炎だけど光はそこにしかないんだ
パチパチという音がしたりして だんだん大きな炎になってきて
そろそろ大きい枝をいれようかとか
どこにその木をいれようかと考えたり
一気に燃やしたり細く楽しんだりしてると
燃え盛る炎がねえまるで人間の怒りや悲しみ情熱を演じてるようで
これが見ていて飽きないんだよ

真夏だというのに川の水がつめたいから
すごく涼しくてね
でもね 炎をずっとみてたから
顔がほてってるんだ
それでウィスキーを川の水で割って飲んだんだ
するとアルコールが体中だけでなく
過去の記憶のなかまでしみこんでいくようでさ
なんだろう太古の記憶までがよみがえってきそうだったんだ

それでね そのとき思ったんだよ
君と出会ったのは偶然じゃないって


明日、いやいやもう今日、この詩を書くきっかけになった山上湖へ流れ込む渓流に幹部社員K君と2泊3日のカヌー&フィッシング・キャンプに行く。
いつものことだが、釣行の前日は興奮してなかなか寝付けない。
この一刻も早く寝たいのに寝付けない気分をたとえるなら、小学生のころの運動会前日に似ている。自分の活躍を妄想しだすと、スタートの瞬間やテープを切って一番でゴールしする姿が浮かんだりして心臓がドキドキし眠れなくなるのだ。今はというと、その渓流の”ぬし”を釣り上げる姿が思い浮かんでしまうのだ。
只今22日AM1時23分。ああ、ブログなんか書いてる場合ではない、とにかく早く寝よう。
釣果や自称レジャーアウトドアマンK君の失敗談(きっとなにかやってくれるだろう)など、次回をお楽しみに。

投稿者 Hiromi : 00:59 | コメント (0)

2005年07月19日

パール・バックの「大地」を読んで。

来た道と行く道が異なれば、同じ出来事に出会っても同じ体験をしてもものの見え方が大きく違うことでしょう。同じ人間の場合でも物事に出会った時期が異なれば、感じ方や捉え方が異なるくらいなので、どの見え方が正しいとかそういうことではありません。

唐突ですが、私はこの年になるまで、文学作品といわれるような小説をほとんど読んだことがありませんでした。
私の本棚は、山野草、鉱石ラジオ、宇宙のはじまり、冒険記、釣り、神秘体験等々が並んでいて、私の中では、小説=作り話=娯楽で、漫画や歴史小説は読んでも、文学作品はめんどくさそうでイヤだったのです。
しかしある日、そんな私に転機がおとずれました。
疲れた新幹線の出張帰り、座席にフリーの月刊誌がありました。ふと手にとると、あの開高健が紹介されていました。これは、釣り好きの人間にはわかっていただけるかと思いますが、小説をまったく読まなくても開高健には惹きつけられるのです。私はその記事を一生懸命読みました。すると、そこに「小説は虚構にして真実」、開高健の小説に対する考え方が書いてありました。以来、“虚構にして真実”という言葉が脳裏に焼きついて離れなくなり、一人の人間のもしかすると魂の奥底から搾り出されたであろう作り話をあえて読んで見たくなりました。
愚妻の本棚には、私が読んだことのない本が並んでいます。ロックキーボード入門などわけのわからないものから、三島由紀夫、谷崎淳一郎、大江健三郎、カフカ、カミユ、吉本ばなな、村上春樹、サルトルなど「どういう基準で選んでるんだ?」といった顔ぶれです。ないよりましかと無作為に妻の本棚から取り出しては小説を読んでいたら、妻がいつもと違う雰囲気で話しかけてきました。
「それ面白い?」と、なんか好戦的です。
「おれには理解しがたい主人公だけど、ねちねちした感情をこうもくどくど書いても読ませる力があるんだからこの作家はすごいもんだね」と、“痴人の愛”を手にし、わかったような分からないような回答をしました。
「ああ、それそれ、その人わかんないんだよねえ。三島由紀夫の方が共感するよねえ。自分にない部分を書かれてもわかんないんだよねえ。例えば太宰治は・・・」
愚妻はいつになく自慢げで、話は終わりそうにありません。
そこで妻に言いました。
「そんなことより、小説はなあ、虚構にして真実を語ってあるんだよ」
「それはそうよ」と、今頃そんなことを知ったのかと急に同情的な目に変わりました。
毎回ボツとはいえ、いやしくも作家を目指している人間は違うものです。いつも自分が99%正しいようなことも私が反論すると自信がなくてとおどおどしてみせる妻が、今夜は根拠のない自信に溢れています。
「一通り文学作品を押さえたいとすると何を読んだらいいの?」
私は親切に聞きました。
愚妻はかっと目を開いていいました。
「パールバックの大地」

そして、それから数日後のこと。
全四巻のパール・バックの“大地”を妻が実家から入手してきました。
中学のころ読んだ本というのが気に食わなかったですが、ありがたく頂戴しました。

「19世紀後半から20世紀初頭にかけて古い中国が新しい国家へ生まれ変わろうとする激動の時代に、大地に生きた王家三代の年代記。貧しく、わずかばかりの土地を大地主の黄家から借りて耕す王龍は、黄家の奴隷の阿蘭を嫁にもらうことになった。働き者の阿蘭を得たことがきっかけとなって王龍の運が上向き、子宝にも恵まれて多くの土地を手に入れ、ついには黄家の土地も買収してしまう。」一巻のカバー文より。

実は少し馬鹿にしていたのですが、1巻の中盤に差しかかるころまで読み進むと、これが文学作品というものなんだろうなあと本当に心の底から思えました。
「これぞ文学だね」と、電車の中から感謝のメールを妻に送ったほどです。
愚妻は中学生だったころ、この作品を通して人間や社会を知った気分になり、一方、私は文学は漫画や映画とは根本的に異なるもので、観察し考察する点においては哲学や科学と似ているけど、表現方法においては美術や音楽と同じ芸術と同じようなものと思うようになりました。
文学作家は科学者よりも、社会や人を見つめて考察する点においては優れているところがあり、科学は数学を用いたり実験で検証できて対象とする領域が単純なせいか、考察する力に搾り出すような苦しみが感じられないように思えます。

さて、しばらくは文学作品の読書の日々が続きそうです。
休日に本ばかり読んでいたら、私の近辺にすごい勢いで雑草が生えてきました。
もうすこしゆったりと、晴耕雨読の生活を送りたいものです。

投稿者 Hiromi : 10:53 | コメント (0)

2005年06月26日

昔書いた詩

ふつう

ある町にごく普通の男がいた。
その町は都会でもなく、田舎でもなく、ごく普通の町だった。
その男はそこで育ち働いていた。
仕事ぶりはというと優秀なわけでもなく、
テキパキ仕事をこなせるわけでもなく、
これといって取り柄があるわけでもないが、
それこそふつうの仕事振りだった。

この男はあるとき結婚した。
相手の女性もごく普通で
特に綺麗なわけでもなく、
きりょうが特別よいわけでもなかった。
一つだけいえるのは、
ごく普通に女性らしかった。

当然のように、この二人には子供ができた。
男の子と女の子で、
二人とも成績が良いわけでもなく、
スポーツ万能というわけでもなかったが、
病気することもなく健康だった。
そのことに、みな満足していた。

この男は、年相応に年老いた。
気づいてみると、孫までできていた。
ふりかえると、そこには生きてきた足跡がたしかにあった。
この男にも、普通に死がおとずれた。
最後にこの男はなにかをつぶやいた。
聞き取れなかったが、いつもの朝と同じ顔だった。


この詩は10年前に書いたものなのだが、最後の一行がしっくりこなくて書き直してみた。
当時の住まいは自宅兼オフィースのボロマンションの一室で、朝起きたら隣室の仕事場に行き寝ぼけながらパソコンのスイッチを入れ、仕事が終わると電源を落として隣の部屋にもどる生活だった。
あまり言えた話ではないが、そこはインターネット接続のアクセスポイントも兼ねていて、電気を消すと暗い部屋の中で何十台ものモデムがしきりに点滅していた。
その先に誰かがつないでいると思うと、妙に幻想的でポツリとそこで酒を飲んでいた。
また、毎週金曜の夜は、当時運営していたパソコン通信ネットの自由参加のオフ会をそこで行い、それぞれがお酒や食べ物を持ち寄った。多いときには20人ほど詰めかけてししまい、狭い部屋でぎゅうぎゅうになりながらワイワイとやっていた。
この誰が来るか分からない不思議なオフ会は、途切れることなく2年あまりつづいた。いろんな出会いがそれぞれに起こり、わかれもあったようだった。
当時、私は離婚したばかりで子供とも離れ一人暮らしだった。
毎日夜は長く、自分を見つめる時間がたっぷりあった。
退職,離婚,独立,使命,あらゆる出会い、崩壊と再生を繰り返したこの時期に自分に向かって投げかけたのが上の詩だった。
10年経ってやっと最後が書けた。

投稿者 Hiromi : 00:18 | コメント (1)

2005年05月21日

こっこちゃんのおめでた

「ご趣味は?」
と聞かれたら、
「日曜大工を少々」
と答えることがある。
実は、4月の終わりごろから、我が家のチャボ3羽のうちの1羽が、卵を抱きはじめたのだ。
新しく家族ができたら、今の鳥小屋は狭くなるに違いない。もう少し広い鳥小屋作りを急がねば。あせりながら、先週の休みに基礎作りを終えたンであるが、それをさらに急がなければイケナイ事態が発生した!
今朝起きて
「こっこちゃんたち、外に出てきなさい」
と、鳥小屋の扉をあけたとたん、
「ぴよぴょぴょぴよ」
とヒヨコが所狭しとかけまわっていたのだ。

私は子供のころから、ひとつの疑問を持っていた。
それは
(ヒヨコはなんできいろいのかな)
であり、
それは一目瞭然の真実であると知った。
ヒヨコは、卵の黄身そのまんまじゃないの。

二年目にしてやっと生まれた、卵の黄身を薄くしたような色のふっくらとしたひよこ2羽よ。
「おお、ぴーこたちや。食べてしまいたいくらい可愛いね(いやいやいつも食べてしまっていたのだ)。このお家は狭いけどもうちょっとの辛抱だからね」
と言いながら、まだ卵を抱いているママチャボを持ち上げてみた。すると、その下にはさらに11個も卵があった。
「ぴーこたちよ。今度のお家は今より広いには広いけど、兄弟がこんなに多くなるとは想定外だったねえ。辛抱するんだよ」
とにかく小屋を急ごう!あせる私の後ろで、家のちび(5才)が
「おとうちゃん、ヒヨコを食べちゃだめだよ」
と真顔で叫んでいた。

投稿者 Hiromi : 20:49 | コメント (0)

2005年04月12日

俳句10連発

またも、ブログをご無沙汰してしまった。

「最近、ブログ更新されてませんねえ」と挨拶代わりに言われることがある。
私の耳が素直なら、それが
”ブログ読んでますよ。次も楽しみにしてますから”
との励ましのファンファーレとなり、あっちの草原の方まで響き渡ったりして、鼓膜が喜びにふるえるだろうに、
何故か
”ブログくらい、さくさく書けよ”
と聞こえてしまい、プレッシャーと花粉でクシャミ連発である。

気を取り直し、書きたいネタは沢山あるんだから!とパソコンに向かえば気合が空回り。
そうして、筆が進まない今日この頃であった。

長い言い訳はこのくらいとして、いっそのこと勇気をしぼり出し、俳句(みたいなもの)10連発といこう。

春:
 雨上がり彼方にみゆる春の山
 春うららながめて楽し二輪草
 自転車は東へ西へ菜の花ロード

新学期 親へ:
 これからもいい子でいようとグレていく
 ほめられるより 叱られるより
    愛されるより 必要とされたい
 こどもはこどもでおやはおやで休めない
 (ふくろうはふくろうでわたしはわたしで眠れない 山頭火)

昼食をいただきながら:
 ラーメンセット湯気のむこうに自分が見えた
 健康には必要なものより不要なものが多すぎる
 食べたら食べたでおいしくてこまるファーストフード
 リサイクルしてもリサイクルしてもゴミの山
 (わけいってもわけいっても青い山 山頭火)

次回をお楽しみに!

投稿者 Hiromi : 11:15 | コメント (0)

2005年02月08日

大人の文章教室

本を買った。
「大人の文章教室」
理系出の私には縁のないジャンルの本である。
(今年ブログを一回も更新していない。なんとかブログを書かねば)
そんな熱い気持が、私の理性をよろめかせたのである。

しかし、というかやはりというか、
本は読まれることはなかった。

けれどある夜、その本を妻がハンテンはおって読んでいるではないか。
しかも読んで笑っていた。げらげら笑っていた。
これは笑うような本ではないはずだ。
「何で笑ったの?」
「報告書をもたもたと、例えば「北の国から」の純くんのナレーションのように書くと無能な社員に見えるって、報告書を純くん言葉で書いてあって、それがヘンで可笑しいんだよ」
妻の指し示す箇所を読み、つい私も笑ってしまった。
ついでに次に書いたあったプロジェクトXのナレーション風報告書例も読んでしまい、それも笑ってしまった。
丁寧に「こういう報告書を書くと出世コースから外される」と注意書きまであるのだ。
「わっはっはっは」
「ね、可笑しいでしょ?」
さんざ笑って、私は思った。
今年初のブログ、新年の抱負には少し遅いが、ここで気持を新たに、私のスローライフ計画を見直してみよう。
北の国から純くんとプロジェクトXのナレーション風の2本だてでやてみることにする。

北の国から風
「ここにぼくらが越して来て3年。なにもしなかった・・・というわけではなく、ただ、なんとなく、畑には草がはえ、このままでは自給自足生活はできないというわけで・・・なんというか、胸がつまった・・・。
畑の土壌改良が必要と思ってしまうが、ちかごろチャボもふえ・・・、鳥小屋も作らなければならないと思ってしまい・・・、答えが・・・・、出なかった。父さん。こっちは今日も雪です」

プロジェクトX風
「池を作った。魚をとってきて放した。冬が来た。ドブになった。風力発電はやろうと思ったままできなかった。作りかけの小屋は風にふかれていた。果樹エリアに休憩スペースを作りたい。走った。走っただけだった。そこからが戦いだった」

しかし、文章って難しい。

投稿者 Hiromi : 15:38 | コメント (0)

2004年11月24日

やつ頭の皮をむきながら

ぽかぽかした日差しの中、イスをふたつ並べて妻を呼びます。
「ここに座りませんか?」
「なに?」
様子を伺いながら後ずさりする妻に、裏の畑で朝掘ってきたやつ頭(サトイモで茎が食べれる品種)の茎を積み上げ見せてあげます。
「これ何?」
「一緒にやろう」
「はあ?」
「皮むいて吊るすんだよ、ホラここに座って」
やつ頭の茎を皮をむいてカラカラになるまで干し、それを水でもどして油でいためて砂糖としょうゆで味付けして食べると「こんなものが!?」と思うぐらいうまいのです。これは妻がKばあさんにじきじきに教わってきたことですが、正直いって面倒だし、あまり気の進む作業ではありません。
庭に椅子とテーブルを出され、仕方ないやるかという感じで妻は皮むきを始ます。
「この前の日曜日、畑で作業していたら、散歩途中のMじいさんがきて、麦はどこに植えるんかい?と言ってきたんだけど。麦を植えることを話したの?」
「ああ、話した話した。Sばあさんに話した」
妻は、茎の不自然な位置をつまみながら皮をむきます。
「Sばあさんだあ?Mじいさんに話したのか?」
私は茎の先端からすっと皮をむきます。私がやると綺麗にはがれます。
「Mじいさん?さあねえ」
「Mじいさんに話たのかって聞いてるんだよ」
「ええっとねえ、Kばあさんに話したなあ」
「だからMじいさんに話したのか?」
「いいやあ、話さないよ」
「おい!お前のやり方おかしいぞ、かせ!」
「いいんだよ、うるさいな」
「やり方もおかしいし、人の話もちゃんと聞いとけ。なんでMじいさんが知ってるんだよ」
「だからあ、Kばあさんが話したんじゃないの?」
どうでもいいことを怒鳴りあいながら、それでも妻は席をたたずに作業を続けています。それは暖かい日差しのせいなのか、隣あって作業する距離の近さのせいなのか?平日あまり話もする時間のない私達が、久しぶりにおしゃべりをしています。
「なんか伝わるの早いね」
機嫌を直したみたいに妻が言いました。
そう、この土地に越してきて新鮮というか都会にはなかった感覚を感じます。それはうわさの伝達するリアルタイムな空気とでもいうのでしょうか・・・。
隣に誰が住んでいるかわからない都会と違い、ここではどらねこがお魚を加えて逃げたとか狐が出たとか、さまざまな情報が口コミですごい速さで伝達されていきます。ちなみに我が家にまつわるうわさですが、農家でもない人間が畑で土を耕しているので、私にとっては一番楽しいことなのに、土日まで働いて大変な働き者だと口々に語り継がれているようです。
さて、不器用に皮をむきながら妻はKばあさんのところから仕入れた新しいうわさを教えてくれました。
「近所のNさんに始めて会ったって言ったら、Nさんは綺麗だろうってKばあさんが言うんだよ。それで私はそうですかねえって返事したんだけどね」
「綺麗じゃないのか?」
「Nさんは目とかぱっちりしてて若いだろうってKばあさんは一生懸命言うんだけどね」
「そうじゃないのか?」私はNさんに会ったことがないので興味津々です。
「いや、私にはわかんないんだけどね」
「なんでだ?若くないのか?」
「70才はとっくに過ぎてるよ」
「ええ、まいったねえ、そりゃ、返事にも困るよね」
「奥さんはあんなに綺麗なのに旦那さんが浮気したんだって、奥さんがあんなに綺麗なのにってKばあさんが何度も言うんだよ」
「何十年前の話だよ?」
「いや、知らないけど」
暖かい日差しの中、どうでもいい話をしながら皮をむいていきます。
これをむくのは大変だぞと思った山のようにあったイモの茎はどんどんなくなっていきました。
(昔の共同作業もこうだったのか)
私は高くて青い空を見上げました。
季節が巡る度に繰り返されてきたであろう農作業の光景にトリップし、おしゃべりする笑い声が、赤黄に色づいた木々の葉を揺らす風の中で響き合ったような気がしました。

投稿者 Hiromi : 12:57 | コメント (0)

2004年10月06日

休日、朝の儀式とコーヒー

私の一日はトイレから始まります。ほんの数分の出来事とはいえ、これをなくして私の朝はやってきません。思うに、パブロフの犬のような朝一番の儀式といえましょう。
それは、キャンプ地で迎える朝においても例外ではなく、アウトドアでは「トイレ適地」を探すところから始まりますが、一般にいう“野グソ”はその言葉のイメージから連想するよりはずっと良く、素晴らしいものなのです。
人と出会う可能性が低いとはいえ開けた場所を避け、草陰にポツリとしゃがみ込む私。
もし人が目の前に現れたら、いや熊が出てきたらどうしよう。人だったら笑うしかなさそうだし、熊だったら草になりきろうと考えたりもしますが、用を足しているときは、なんとも無防備で身動きとれないためかすごく謙虚な気持ちになります。
するとどうでしょう。今まで耳に入らなかった虫の声や風のざわめきが増幅器にでもかけられたかのように大きく響き、自分の意識が肉体より外まで広がっていくかのような感覚に襲われるのです。
そして、わたしの“うんこ”は一週間もすると自然に還り、今もこんもりと静かに佇んであの山の草木の一部になっているかと思うと、また同じところに行きたくなってしまいます。

さて、トイレタイムのあとはいよいよコーヒーです。
目覚めのウォーミングアップは、「無農薬で栽培された生のコーヒー豆を煎ること!」で始めます。
黄土色のコーヒー豆を約二人分ゴマ煎り用の陶器に入れて火にかけます。最初は強火で一気に温度を上げ、ちょっと焦げだしたら中火に落とし、容器を手首で振ってむらなく豆に熱を伝えていきます。すると豆がパチパチと音を立てて弾けだします。弾けが収まってくると火をさらに弱め煎りつづけます。すると今度はピチピチと小さな音をたてだします。私の場合はこの音が収束するところまで煎ります。
コーヒーについてのウンチクを語れるような、本からの知識や教わった経験などはなにもありませんが、自分のイメージ通り煎ることが出来て、つやつやと黒光りしたコーヒー豆を見ると気持ちがいいものです。
次に、熱をちょっと冷まして、その豆をゴリゴリと手動のミルで粉に挽きます。
正直言ってこの粉にする作業は誰がやっても同じだし、数分で終わるとはいえその作業は苦痛でちっとも楽しくありません。風車や水車は苦痛極まりない粉挽き作業を自動化するため発達したに違いないと勝手に納得し、ゆったりとした生活にも電動は必要で、一気に粉にするにこしたことはないと思ってしまいます。
そして、ドリップしたコーヒーを妻に出し、「どう?」と見つめます。
すると暗に強要しているとおり「おいしい」という言葉が返ってきます。
私は、その言葉に満足し、コーヒーをすすり、今日はなにをして遊ぼうかと考えながら休日の朝が始まります。

投稿者 Hiromi : 14:11 | コメント (0)

2004年08月26日

電子レンジが消えた日


電子レンジが台所からなくなって一ヶ月が経ちました。

一ヶ月前。
連日飲み明けの休日の朝、ウッドデッキの椅子にもたれ庭のトマトを眺める私に、頼みもしないのに妻がコーヒーを運んできました。そして「台所をもっと使いやすくしたいんですが・・」とうやうやしくコーヒーを差し出します。。
警戒して椅子を離しながら話を聞くと、今の台所は狭くて使いづらいので、整理する棚を作って欲しいと声高に言い始めました。
全く気が乗らない話です。妻よ、整理棚が増えたって、君はそこをゴミだらけにするんじゃないんですか?
しかし、今週は飲み過ぎて家に帰らない日も多かったし、理由もなく無視するとひどい目に合わされるので、なんとか気合いを入れて頭を仕事モードに切換えました。
妻を我がままなクライアントに見立て“どういう問題を抱えているのか、何をどうしたいのか”ヒアリングするのです。場合によっては丁重にお断りしなければなりません。
必要以上に丁寧に言い寄ってくる人間にはいつでも要注意です。

“あのね、切り分けた食材を置いておく場所が欲しいの”、“それと、作った料理を置いとく場所が欲しいの”、“そうそう、料理の本を広げる場所も欲しい“あ!粉を混ぜたりする作業台も欲しい、欲しい”などと、妻はここぞとばかりにまくしたて、話を永遠に続けます。
“今までどうしていたのだろう“という大きな疑問も湧きましたが、
「つまり料理作業をする充分なスペースがまず欲しくて、よく使う穀物類、香辛料、コーヒー豆や本などは、手を伸ばせば使えるようにオープンな棚に置いておきたいと言うことでしょうか?」と丁寧に聞きました。
「そうそう、そんな感じです。」
妻はとても機嫌が良くなりました。
そうです、私はWEBインテグレーターとして顧客本意を実践する営業のプロでした。
さて、問題の台所を改めて見ると、冷蔵庫、食器棚、米びつが一体になった電子レンジ台、収納ボックス、ゴミ箱などが所狭しと並んでいます。そして、少しでも空いているスペースには、梅干しの瓶、ジャガイモ、洗った牛乳パック、飲むことのない果実酒などが押し込まれていました。
私は“何やってんだよ!!”と大きな声になりそうでしたが、“妻は、いやお客様は神様だ”と自分に言い聞かせ、妻の要望の真意を理解し改善のために真剣に考え込みました。

最初に目に止まったのは、レンジ台でした。
これは、米びつ、引き出し、棚までついていて、一見便利そうに作られていますが、その小賢しさが、人の想像力まで阻害しそうで胡散臭く見えました。だいたい電子レンジで“チン”して温めたものを、私は好きではありません。
電子レンジなどの電化製品は、使ってみると確かに効率的で便利です。しかし、それに依存するようになると、縛られて自由さが失われるように思うのです。
そして、食器棚。
この中には、大皿、小皿、どんぶりや茶碗、それに引き出物でいただいた品々が、凸凹と並んでいました。
あと、冷蔵庫。
これは私の背丈ほどある大きなもので、中身をぱんぱんにしておけば、周囲を包囲されても、家族が一ヶ月サバイバルできそうな気がしました。
私は、それらのものを全部捨てたくなりました。
整理棚を欲しいと言われたからといって、それをそのまま鵜呑みにしては仕事師と言えませんし、手の込んだものを作るのも辛いです。
(さて、どうしようか・・・丁重にお断りしようか・・・)
妻の要望で一番強かったのは、作業スペースの確保でした。
(そうだ!迷うことはない。一番の解決策は全部撤去することだ!)
「うちにはこんなに食器はいらない。ここに食器棚も必要なし」
とレンジ台は処分して、電子レンジは倉庫行き。食器棚は隣の部屋へと移動しました。そして、空いたスペースに幅180cmのシンプルなテーブルを作り、壁面には同じ幅で2段の棚を取り付けることにしました。
テーブルと棚の材料費は、合わせて約8000円と、思ったより安くあがりましたが、室内で使うものは、あまり貧相な作りにはできないので、釘穴を目立たなくしたり、サンドペーパーで表面を仕上げて塗装したりと、予想以上に時間がかかりました。
電子レンジのことはさておき、大きな作業台ができただけで、妻は大喜びしてくれました。
「今までの不便さがなくなった!」
クライアントが満足してくれて、私も(やってよかった)と思いました。

そして、あれから一ヶ月。
電子レンジがなくなったからといって、遅く帰った夜や残りご飯を食べさせられる朝に、冷たいご飯がでてくることはありませんでした。
もともと料理をしない私としてはなにも不自由を感じませんが、てきぱきするタイプではない妻は?というと・・・
「レンジがないおかげで、料理の幅が広がったみたい」
と思いがけない一言を漏らしてくれました。

投稿者 Hiromi : 21:16 | コメント (0)

2004年08月18日

自転車散歩帰りのOSストアー


中学3年の息子が「うちはコンビニが近くにないし、そうかといって大自然に囲まれている訳でもなく中途半端なとこだよね。」と文句を言ってきたことがあります。
半分は言い当てているのですが、生意気だったので「いつでも出て行っていいぞ」と本気で言ってあげました。

ところで、一番近いコンビニまでは約3kmです。大きな声ではいえませんが、私がコンビニに行くのは、ほとんどが雑誌の立読みです。
ちょっとした食材や雑貨が必要な時は、コンビニと同じ通りにあるOSスーパーに行きます。そのスーパーは、コンビニをちょっと大きくしたくらいの広さで、地元の地酒や野菜が置いてあります。
そこは時代の波に押しつぶされることなく、よく残っているなあと感心するような昔ながらの風情があるお店です。

私は、休日「なにもやる気がしないなあ」と思うと、愛するロードバイクに乗って近所を半日ほどぶらつきます。
時間がない場合、荒川土手の自転車道に足を向けます。その自転車道は50Km下流まで続いていて、車も通らず、風を感じながら自転車漕ぎそのものを楽しむのにはなかなかいいところです。
この休日、その自転車道に行って来ました。今日は一日寝てすごしたので、運動して美味しいお酒を飲もうと思ったのです。土手の自転車道は視界が広くてとても気持ちがいいのですが、出会いや発見は少なくて何度かいくと飽きてしまうという欠点があります。
この帰り道にOSスーパーはあります。
いつものようにこのお店に立ち寄って、隣町の地酒、塩辛、缶詰、酎ハイみたいなものを買いながら、(今晩のオリンピック観戦用のお酒は準備できた)と、レジに向かいました。
そのレジには、80才過ぎのいつものじいさんがランニングシャツ一枚で立っていました。そのじいさんがこのお店の店主です。
私は、このレジの前ではいつもヒヤヒヤしてしまいます。    

商品の入ったカゴを置くと、じいさんは、品物を遠くにしたり近くにしたりしながら、
「これ100円ね、これ200円ね。いや194円だったかな。」
と小声で言いました。
(あれ、値札はどうした?ついてないじゃないか。大丈夫なのか?)
私はなす術もなく黙っています。
じいさんは、
別の商品を右手に持って、
「ええ、これは・・・」
と困った顔をしました。
私が
「ここに書いてありますよ」
と教えてあげると、
「あ、348円ね。」
と明るい顔になりました。
(あれれ、345円て書いてあるのに。3円損したなあ、まあ3円くらいいいや)
これがもしコンビニだったら、3円とはいえ「おい、間違ってるだろう!」と言うところですが、私は、このじいさんにレジを打ち直しさせるという大罪を犯すことはできませんでした。
そして、なごやかに無事会計が終わったかにみえましたが、じいさんは商品を袋に入れながら
「この塩辛の賞味期限は確認したかい?」
とちらりと私を見ました。
「はあ?」
じいさんと私は賞味期限が8月5日なのを一緒に確認しました。
「あれ、過ぎてますね!」
と私が言うと同時に、
「なんだ大丈夫だね」
と、じいさんが大きな声で言いました。
(あれ、今日は8月15日だったよなあ。あれ7月だったっけ。いやお盆だったし今日は8月15日だ)
私が心の中で葛藤していると、
じいさんは
「塩辛は大丈夫だよ」
と自信に満ちた笑顔で言い放ちました。
(3円の損かと思ったら、ひょっとして358円の損なのか?いや食べればいいんだ、食べれば)
と私の葛藤は続いていましたが、
私はそんな小さなこと気にもしていませんよと、思われたくて、
「そうですねえ」と笑顔で応えながらお店を出ました。
まったくなんど行ってもヒヤヒヤさせられます。

誤解がないよう添えておきますが、レジで安く打ち込んでしまったときなど、まあいいや「まけとくよ」といって値引いてくれたりもします。

目の前は、きれいな夕焼けです。
「息子よ。こんなスーパーがあるんだから、ここもいいとこだろう」とつぶやきながら、田んぼの細道を自転車漕いで帰路につきました。

投稿者 Hiromi : 12:10 | コメント (1)

2004年08月06日

隣りの神社


私の家の隣りには神社があります。
そこは、ひっそりとした小さな神社なのですが、境内にはヒノキと杉がころよい間隔で伸びていて、地面にはコケと玉龍が自生し、ところどころヤマユリが咲いていたりと清らかな雰囲気につつまれています。

休日の朝、サンダルとパンツ一枚で庭に出ている私は、ついその格好でふらっと神社までも行ってしまって、変質者と間違えられても仕方のないところなのですが、まあ今のところ大丈夫でいます。
というのも、早朝に会う人といえば、いつも境内をキレイに手入れしてくれている近所のMじいさんと犬の散歩のご近所さん2、3人といったところで、パンツをはいていれば一応問題ないようです。

ところで先日、Mじいさんにお土産の饅頭をもっていきました。
すると翌朝、Mじいさんが出勤時間に道路に立っていました。
Mじいさんは、「饅頭のお礼だよ」と言いながら家の前の路肩の草を刈り始めました。
私からすると
(饅頭2個で、この草刈りでは割が合わないだろうに・・・)
と申し訳ない気持ちで一杯なのですが、神社にも面するこの道路の草がずっと気になっていたようなMじいさんは、家のテリトリーの草を一本残らず刈り取って、すがすがしく汗をぬぐいました。
もしかすると饅頭のお礼というより、半分は草刈りの口実だったのかもしれません。
私は、これからも口実のためにも機会があるごとに何か持っていっていこうと思いました。
(私を含めここの近所の人たちは、いつも神社やその周りをきれいにしてくれているMじいさんに心から感謝していることを補足しておきます。)

この草刈りのことをうちの妻がSばあさんに話したところ、
「うちもやってくれればいいのに」
と寂しそうに言葉をもらしました。
それでなりゆき上、草刈りを普段頼んでもやらない妻が、Mばあさんと一緒にやったというから驚きです。

ところで、その神社には井戸があります。その井戸の屋根は柱の老朽が激しく今にも崩れそうでした。
一ヶ月ほど前の朝、めずらしく騒がしい音がしたので、外に出てみると井戸の屋根部分が剥ぎ落とされていました。
解体し廃材を捨てるくらいなら譲ってもらおうと近づいて聞いてみると、残念な・・・いや嬉しいことに
「この屋根は、明治時代前半に造られたものだから、少しでもいかせるとことは活かして改装してほしい。」
と依頼されたということでした。
大工さんは、全部作り直したほうが早いんだけど、と言いながら、古い柱の朽ちたところをカットして新しい木を巧みに接いだところを見せてくれました。その姿は少し誇らしげでした。

屋根の改装を終えた後、修理した継ぎはぎだらけのコントラストを美しいと思うかどうかは人それぞれかもしれません。
しかし私は、夕暮れにそそり立つつぎはね屋根を見ながら
「私は時間をかけて仕事をすればするほど、長持ちする仕上がりになると信じていました。」
というヘンリー・ソローの言葉を思い出していました。

投稿者 Hiromi : 13:36 | コメント (0)

2004年08月03日

草刈り行事


この日曜日は、地区行事として行われる年に1度の農業用水路の大そうじ(草刈り)でした。
朝8時に、長靴に長ズボン・軍手のいでたちでおのおの草刈り鎌を持参しての集合です。この地区で鎌を持っていない家はありませから当たり前のことなのですが、「やっぱり鎌は持参だったんだ!」と、ほっとしました。前に住んでいた自治会では、鎌は用意されていたからです。

見渡すと約60世帯の家長(じいさん)もしくはその奥さん(おばあさん)が、大小さまざまなよく砥がれた鎌を片手にたむろしています。同世代も数名いますが、ほとんどが私よりかなり年上です。
私は会社ではおじさんの部類に入れられてしまいますが、ここでは「にいさん」と呼ばれる青年なのです。

さて、区長さんの「いつものように!」の一言で草刈りが始まります。
用水路の草刈りは、上流2コース、下流1コースにそれぞれ分かれて行くのですが、「1班2班は上流右コースをお願いします。3班4班は・・・」などと、細かく仕切られる訳ではありません。

最初に参加したとき「え、僕はどうしたらいの?」と訳もわからず上流左コースに行き、去年は下流コースに行きました。どのコースも約1キロメートルくらいです。草刈りの要領は、5メートル間隔で人が入り、その場所の草刈りを終えると先頭に行き、また草刈りをするという感じでどんどん前に進んでいきます。
去年、下流コースは早く終わってしまい、上流組みが帰ってくるのを待っていたような覚えがあります。そんな訳で、今年も下流に行こうかと思いもしましたが、結局終わる時間は同じだと思い直し、今年はメダカが多い上流コースに加わりました。

この草刈りは用水路の中を進軍していくので結構大変なのですが、80歳を過ぎている近所のMじいさんは私より元気に鎌を振りながら「メダカもずいぶん増えてきたねえ」と満足げに声をかけてきます。
途中2回ほど休憩しましたが、「は〜い、休憩しましょう!」とか「さて、始めましょうか!」などと仕切る人は誰もいません。すべてなんとなく進んでいきます。つい効率とか生産性とかを考える癖がついているので最初は戸惑いましたが、これはこれでなんとも居心地がいいものです。

休憩中は世間話しに花を咲かす人、鎌を砥ぐ人、もの静かな人さまざまです。
「ちょっと鎌を見せてごらん」といわれたので鎌を渡すと、刃をチェックされ「これはどこで買ったんかい?」と聞かれました。正直にこたえると「そこはいかん。○○がいいのを置いてある。」と言いつつ柄の形はこういうのが良いと自分のものを見せてくれました。田舎暮らし初心者というオーラが私にただよっていたに違いありません。

途中、ある一角だけ真緑色に茂った田んぼがあったので、そこを眺めていると、一人のじいさんが「おたくは○○さんところの息子かい?」と話し掛けてきました。
「いえ・・・」というと、「ほれ、その田んぼの横は雑草がすごいだろ、そこの土地は自分のものかどうか聞きたったんだけど・・・親父が死んでからどこが自分の土地やら分からなくなってねえ・・。」と言っていました。浅ましい私は、「その土地をくれ」と心の中で叫んでいました。

約2時間の草刈りが終わってみると、約1キロの用水路の地図が頭に入り、メダカの多い場所をくまなく把握できてかなり得した気分でした。後でメダカをすくいに来ようと思いました。
集合場所に戻ってみると、プラタナスの木陰にゴザが広げてありました。そういえば去年もそうでした。朝の10時からお酒が出てくるのです。
ここで隣り合わせたのは、1年ほど前に引っ越してきた私と同じ新参者のNさんです。Nさんは井戸が干上がり水に苦労している様子でした。5日に一度、ちょっと離れたところにある○○名水を1トンほど汲みに行くと話していました。「タンクを2メートル上げただけでは水圧が足りなくて、ポンプを買ってきて・・配管を・・」と、大変そうに聞こえましたが、Nさんもあれこれ作るのが好きみたいだし結構楽しんでいるに違いありません。

汗をかいた後のビールだったせいか、酒好きの人たちは朝から酔っ払ってしまい、もう仕事にならないと言いながら皆帰っていきました。
私は酔って元気になってしまい、引き続き庭の草を刈りました。そして、自慢できるほど鎌の刃を砥ぎなおし、Mじいさんの刃を砥ぐ様は格好良かったなあと思いつつ昼の眠りにつきました。

投稿者 Hiromi : 19:09 | コメント (0)